「何者にもなれない」論
公開中の某アニメ映画について、オンラインサロンだとかマルチだとかそんな話題を目にした。
光属性の行動力を持った何者にもなれない人間じゃなくてよかったなーなんて思う。
「何者にもなれない」という言葉はどこから来たのだろうか。
「何者にもなれない 元ネタ」で検索してみたけど、ぱっと見は「輪るピングドラム」なのではという感じだ。
懐かしい。くるくる回る君の瞳探してまわる駅のホーム…っていうオープニングだった。
やくしまるえつこさん好きです。声が本当に好きです。輪るピングドラムも本当に好きなアニメです。
そんなことはよくて。
「何者にもなれない」という感情はもっと前からあったようにも思う。
なんとなく言語化されなかっただけで。
「何者にもなれない」論は何者にもなれなかった人にしかわからないから、成熟していないのかもしれないなとも思う。
誰か「何者にもなれない」という気持ちについてもっと研究してほしい。(もしかしたら研究されているかもしれないけど。)
そんな気持ちは誰にでもあるもので、何者にもなれなくたって人生の幸福度には何ら関係ないって、
寄り添って肯定してほしい。できれば数字での裏付けがほしい。
オンラインサロンに加入したり、何か行動を起こして、実名でnoteとか書いているなら、もうすでに何者かになれていると思う。
本当に「何者にもなれない」のは私のような匿名でくだらないことをペチペチ書いている人間だ。
そろそろ虎になってしまうかもしれないから、漢詩の勉強をしておくべきだろうか。